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近頃は人様の記事を話の種として使わせていただくことが多くて恐縮ですが、ネタがないのではありません。
むしろ記事を読ませて頂いて書きたいネタが溢れているくらいです。
一度箇条書きにでもしてまとまなきゃ。
さて本日はボウガンの『擬人化』のお話。
擬人化というと最近のメディアによる無生物の擬人化がイメージとして強く残っていたりするのですが、そもそも擬人化って古代の神話の時代から存在する概念であったりしますよね。
それは山であったり、かまどであったり、木や水であったり。
ここでは多くを語る知識も必要もないので割愛しますが、要は擬人観は遙か昔から人々の間に宗教や文化を通して定着している概念だということです。
あ、ギターは元々女性の身体を模して作られた楽器だという逸話もありまして、事実ギタリストには自分のギターに名前をつけたりして本当の恋人のように扱う方もいるそうな。
私はライダーにもそんな傾向がある気がするのですが、両者に共通するのはそのツールをただの道具として以上の愛情を捧げていることだと思えます。
さてモンハンでしかもボウガンを擬人化、というと個人的にはサフィニア邸様の「銃とあれこれ」を強くお勧めしたいところではありますが、ここでは一度私・シュガシュガが考えるボウガンの擬人観を考えてみましょう。
武器には個性がある。
その中でもボウガンという武器はその武器を成り立たせる数値的要素が他の武器種よりも多く存在するため、その個性がより強く現れる武器である・・・とは以前「雑記帖 カスタム・オア・ノーマル あなた色に染められて」にて語ったことであります。
この個性というのがボウガンを擬人化する上で重要な人間性・・・性格といったほうがわかりやすいですね、それを形成する基盤となります。
そしてそうした元来存在する個性に創造主個人の主観が混じり、それによりその人のボウガン擬人観が完成します。
更にそこにスキルによる装飾を考えると、その婦人(もしくは殿方)にどのような服を着せたりどういった性格に仕立てたりするのか・・・といった非常にコアな部分まで設定することができます。
ボウガン本来の個性と主観のどちらが色濃く反映するかの配分はもうその人次第、こういった擬人観も含めて私はボウガンの色は十人十色だと思うのです。
ここ最近でとても興味深いのが、いつもお世話になっている老人と森丘 様のラームさんによる夜砲【黒風】の擬人化。
夜砲の通常弾・貫通弾による弾幕・火線集中の中毒性を「人当りの良さの裏に邪な笑みを隠した悪女」と表現されております。
またそんな魔性の女に憑かれつつも手綱を放さ(せ?)ない狩人との関係が描かれており、二人は狩人と武器という無骨な関係ではなく、まるで本当の恋人のようです。
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さて次の回では我が老山龍砲の擬人化を展開致します。
もしかすると『擬人化』ってワードだけで嫌悪感・不快感感じられる方がいらっしゃるかもしれませんが、まだ考えたこともないって人はすごいオススメです、擬人化。
自キャラクターをロールプレイングとしてMHの世界に確立している方でしたらほとんど抵抗なくできるんじゃないかしら。
厨二病マジ勘弁。という方には少しアレですが(笑。
是非一度、狩場を共に往く相棒を人間として捉えるとどうなるの、と考えられては如何でしょう?
それではこれにて失礼致します。
またお会いしましょう、このノートの上で。
参考文献:さふぃにあ邸で休日を 様 「銃とあれこれ」
:老人と森丘 様 「共に狩場を往くモノたち・夜砲【黒風】」
狩人の矜持と思い出は十年の時を越える。